イタリア旅行記

初投稿になります。62代の恵一朗です。横塚さんは最近スイスに行かれたそうですが、私は2月に卒業旅行としてイタリアに行ってきました。

半年も前のことですが、せっかく1万字以上の旅行記を書いたので、この場をお借りして載せたいと思います。

この旅行のことは、今でもふと懐かしく思います。

 

期間:2012年2月13日~22日 行き先:ベネチア、フィレンツェ、シエナ、ローマ

2月13日(月) 成田空港~ベネチア、ホテルステラアルピナ1泊目

 三鷹から成田空港へは浅草端での乗り換え一回で済み、簡単だ。日本旅行のカウンターで受け付けをして、エールフランス機へ搭乗。フランス語の放送は当然全く分からないが、日本語の放送もあり。隣の大学生三人組が、高校サッカー部の団体よりうるさくて閉口。

 パリ空港で乗り継ぎ。ここで入国審査を受けるが、一言も話す必要はなく、入国審査官がパスポートにハンコを押すだけ。荷物は最終目的地まで預けっぱなしでよいと聞いたものの、本当に届けてくれるか心配だ。ユーロで初めての買い物はバゲットのサンドイッチ5ユーロ。ベネチア行きは非常に小さい機で、24Cの自分が一番後ろ。

 ベネチア空港では、入国ゲートもなく、エスカレーターから降りた所で警官に止められ、パスポートの提示を求められる。ニセ警官詐欺ではないだろうかと少し心配した。次に空港でローリングベニスカード、ベネチア本島へのバス切符と水上バス三日券を買うが、イタリア語がさっぱり分からず、値段もよく分からない。50ユーロ札を出したが、レシートでは合計21ユーロに44ユーロ出して23ユーロのお釣りとなっている。そのときはお釣りを確認し忘れたが、もしかしたらごまかされたのかもしれない。

 ベネチア本島のローマ広場から徒歩でホテルに向かう。ホテルステラアルピナへのカッレ(小路)は非常に狭く、見落として通り過ごしてしまった。スマートフォンのGPS機能を使ってたどり着いた。普通なら旅行者が入ってはいけない危ない狭さ、暗さに見えるが、ベネチアではこんなものなのだろう。人の通行も多い。パリへの飛行機では12時間ずっと起きていて、感覚的には徹夜だが、現地時間は23時なので、これで寝て明日朝起きれば、時差ボケは少ないだろう。

 

2月14日(火) ベネチア、ホテルステラアルピナ2泊目

 朝食はコンチネンタル(パンとコーヒー程度)のはずが、バッフェ形式で、シリアルもパンもハムもある。食べていいのだろうかと思いつつ、おかわりしてしまった。ミューズリーや、アプリコットジャム入りのクロワッサン、チョコレートクリームのヌッテラなどがあった。エスプレッソマシーンは全自動式で、客が好きなボタンを押す。カプチーノは牛乳ばかりでおいしくなかった。

 朝一番でサンマルコ広場へ徒歩で向かう。”PER St. MARCO”の標識にしたがってとにかくカッレを歩く。地図を見ることなく、自分がどこにいるか分からないけど、リアルト橋経由でサンマルコ広場に着いた。まずドゥカーレ宮殿へ。豪華な宮殿にいくつもの絵画が置かれ、初めて直接見る西洋文明にただただ驚く。これがヨーロッパの歴史の重みなのか。”The Dead Christ and Angels”が何点かあるが、キリストの痛ましい姿は心を打つものがある。”Il Paradiso”のスケールには思わず声が出てしまう。ため息橋や、牢屋跡も見学することができた。橋の中から小窓を通して見た景色には、囚人ではなくても思わずため息が出てしまった。

 次に、同じサンマルコ広場にある鐘楼には、並んで入った。日本人が多い。鐘楼の影を落とす広場の景色が面白かった。そして、ドゥカーレ宮殿と共通券になっている、コレール博物館に入る。日本人がいない。アルメニア特別展をやっており、なかでもIvan Ayvazoaskiの”Noah Descending from Ararat”が気に入った。旧約聖書のノアが人間や動物たちを率いてアララト山のふもとを歩いている絵だ。ベネチアに来て、ヨーロッパの起源であるコーカサス地域のことを学べたのは良かった。

 水上バスでローマ広場に戻り、COOPで買い物した。勝手がよく分からないが、とにかくクレジットカードで支払えば済む。ポテトチップが300g1.71ユーロだった。ホテルに戻り、部屋番号をイタリア語でトレンタクアトロ(34)と告げると、”Bravo”と返された。一休みしてからサンマルコ寺院を目指したが、水上バスを途中下車すると、立派なサルーテ聖堂に着いた。中を見学するとミサを行っていた。アカデミア橋を渡って、ブティックが並ぶ3月22日通りを歩いて、サンマルコ広場に出た。疲れてしまったのでそのままホテルまで戻った。

 2月15日(水) ベネチア、ホテルステラアルピナ3泊目

 今朝もおかわりして、昼食分を節約する。8時に水上バスに乗って、朝の舟が行き交う運河からCa D’Oroなどを見物して、リアルト橋で下車、魚市場に行く。凍えるほど寒いなか、市場は開いている。イタリアでもこんなに魚の食文化があるとは驚きだ。クロダイ、スズキ、カジキ、ホウボウから、エイ、サメ、イカ、タコなど、なんでも食べるようである。トレビーゾの淡水で養殖されたニジマス(Trote Salmonate)や、海でとれたスチールヘッド(Salmone)もある。魚市場のおじさんたちは英語が通じない。スペイン語の方が通じたようだ。ニジマスが小さいときは川、大きくなると海と伝わっただろうか。

 そして、サンマルコ広場に着き、サンマルコ寺院を見学。正面ファサード以上に、内部の装飾が豪華だった。

 海軍博物館では、とにかく船の模型がたくさん展示してあった。そこで、豊臣家の紋章の旗を見つけて驚いた。アジアの船の展示になっていて、中国のジャンク船や朝鮮の亀甲船もあった。その後、造船所の塔を見る。

 サンマルコ広場から水上バスで一周してからサンジョルジオマッジョーレ教会に着く。この鐘楼から見た景色は素晴らしかった。サンマルコ広場にどっしりと腰を据えるドゥカーレ宮殿は非常に綺麗だった。

 アカデミア美術館は11ユーロなのでパスした。付近のカッレでは、すれ違うのがやっとの狭さのところで、若者の集団がやってきて、自分とすれ違うときに何か大声で言った。また、物売りのアフリカ系移民がバッグを置いて走り去るところを見たが、あれは泥棒未遂なのだろうか。アカデミア周辺は治安が悪い印象を受けた。Instituo Veneto di Scienze Lettre ed Artiでは、明治期の日本の写真展を行っていた。江戸、日光、芸者の写真が多いが、説明が非常に正確で、士農工商や男尊女卑について書いてあった。この二日間で、西洋文明に圧倒されているが、日本人としてどうあるべきか考えるきっかけになった。明治維新期の衝撃はこれどころではなかっただろう。

 ベネチア大学を通り、静かな住宅街を抜けて、ホテルへ歩いて帰った。夜はサンマルコ広場へ繰り出した。ステージがディスコのようになっており、踊っている。MCが集まっている観客に「どこからきたの?」と聞き、「日本人集まれー」という感じで日本人客を壇上に上げて踊らせた。日本人もまるで六本木から来たようにノリノリだった。ステージ前に入るには10ユーロ必要なので、私は加われなかったが。同じ要領で、スペイン、イギリス、韓国などもやっていた。歴史的建造物に囲まれたサンマルコ広場で若者がこんな風に騒げるなんて、うらやましい環境だ。ベネチア最後夜に、すこし寂しい気持ちでカーニバルを眺めていた。いつからだろうか、華やいだ祭りの中でもの悲しさを感じることがある。高校の文化祭など、楽しい時間が過ぎていくのが明らかで、悲しくなったものだ。