彷徨 第2号

目次

 
1. 巻頭 神沢 惣一郎
2. 「ワンダーフォーゲル運動に関する若干の考察」 里見昭二郎
3. 若きワンデルンに訴ふ!里見君のワンダーフォーゲル論に寄せて 佐野哲也
4. アンケート
5. 初冬の富士を憶う 柳 和夫
6. 穂高周辺のスキー 覚野久雄
7. 一新人のたわごと 金子 敬四郎
8. AMERICAN YOUTH HOSTELS
9. 山の歌特集
10. 編集後記

 

1. 巻頭

 
神沢 惣一郎

ひとの一生は競争である。競争ということは、ひとと競い争って、自分が勝とうとする願望である。
しかし我々は、競争意識という原始的な本能を介さずには、自己開発、自己形成の出来ぬことや、人類文化の発展も望まれぬことも、悲しい人間の現実である。
従って人間やその営みである文化は、本来裁かれる運命にあるのかも知れない。
そういうことを考えると、自分の為してきたこと、これから試みようとすることがいやになり、自己嫌悪におち入ることがある。私は一時でもそういう世界を離れたく思うことがある。
山や草原の彷徨を慕う、切なる私のこころは、こういうことからも生じているようである。
 

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2. 「ワンダーフォーゲル運動に関する若干の考察」

 
里見昭二郎

ヴィネッケン(Gustav Wyneken,1875/19??)はドイツ青年運動の偉大なる指導者であったが、彼は青年運動の理論的分析を試みてその存在理由と価値とを明らかならしめドイツ青年運動の進むべき道を示した。彼の主張というものは単にドイツのそれのみならずその後?けるすべての青年運動の潮流というものを、殆んど決定的に方向付けたと言っても過言ではない。彼は青年運動の確立者である。
ヴィネッケンは青年運動(Jugendbewging?)を通じて青年文化(Jugentkultur)の確立さるべきことを強調したが、彼の説を要約すれば大体は次のようなものになると思う。
「青年時代は児童の人間的動物性と成人の専ら頭脳的な存在との中間に位置を占めるが、それは単なる過渡的時代でもなく或はまた単なる成人への準備時代でもない。それはそれ自身に於いて美と価値とを有するものである。
青年は自らの生活を自らの様式に従って形成する権利を有する。また青年の精神は成人のように伝統や功利主義に煩わされることもなく絶対的な人間的価値に対する感受性が強いので、絶対精神の展開に寄与するところが頗る大きい。それだからこそ青年は一まず家庭と学校との制約から解放されて大自然の中に没入し、そしてそこに展開される自らの精神の中から新たなる文化を建設しなければならない。」
ヴィネッケンが主張するように、青年時代とゆうものは確かにそれ自身に於いて独自の価値と美とを有するものである。その意味に於いて青年時代を単なる成人への過渡的若しくは準備的時代と規定しなかったヴィネッケンの説は支持されうるであろう。
「青年時代は単なる過渡的時代ではない」としたヴィネッケンの説は否定できない一面の真理を含んでいる。だがしかし我々はまた青年時代の他の本質的要素を見逃してはならないと思う。人生に於ける他の時代(例えば成年期)との有機的な関連に於いて青年時代を考察するとき青年時代とゆうものはそれ自身に於いてあくまでも独自の形態を保持しながらも、一方他の面に於いてはより発展さる高火の段階(具体的に言うならば成年期であろう)へと進むべき内的必然性を有しているものとして理解され得よう。我々は、過渡的要素を有しながらもそれ自身に於いて独自の形態を保っている姿を青年時代の中に見出すことができるのである。
ヴィネッケンの説に対する論議は一応措くとしても彼の理論は明らかにドイツ青年運動の理論であり、ドイツ・ワンダーフォーゲル運動の理論であった。ドイツ青年運動は青年自身による青年のための自主的な運動であったが、青年運動の歴史を顧みるときそれは此の種の運動の嚆矢であると言うことができる。青年運動を広義に解するときには、英国のボーイスカウト(boyscout)、米国のキリスト教青年会(Y.M.C.A.及びY.W.C.A.)などの青年団体もこれに包含されることもできようが、此等の団体は通常成人による青年指導の団体であって、真の意味に於ける青年運動とは言い難いのである。それらは、青年独自の要求により青年独自の文化を建設せんがために組織された彼のドイツ青年運動とは著しく性格を異にするものである。
ドイツ青年運動は既成文化への不満の爆発であり時代の頽廃的現象への体験による抗議であったが、それは主として都市的生活や観念的な学校生活に向って提起されれたものであった。
此の間の消息は1913年ライプチヒ合戦記念祭に開かれた自由ドイツ青年大会の檄文が最もよく適切に物語っていると思う。檄文は社会に対して次の様な激しい調子で抗議を発している。
「自由ドイツ青年は、すべて曲げられ歪められた制度に対しては自然、純真、率直、真実を以って対抗する。ドイツの青年は今正印刷に方向の転機に立っている。青年は従来の披動的な立場から自己の省察に立戻った。醜悪な陋習を破って青年は今自らの生活を形成し始めた」
かくてドイツ青年運動は、ドイツ青年自らの手により独自の形式に於いて展開されていったのである。
ドイツ・ワンダーフォーゲル運動は、以上のような自立的な青年運動の一環として発展したのであって、単なる自然遍歴を目的とする団体運動ではなかった。それは、青年の意志と感情、祖国愛と自然とに立脚する自主的な青年運動だったのである。
しかし乍ら、此の様な輝かしい目的と理想を掲げていたにも拘らず、結果的に何故にドイツ・ワンダーフォーゲル運動は失敗に終らざるを得なかったのであろうか。それは一部の人々が批評するように「自然への逃避」であり、更に酷評が許されるならば「合理的な家出」以上の何ものでもなかったからである。その具体的運動は当初の崇高な目的の範囲を逸脱する方向に走り、既成文化の単なる否定のための否定へと堕してしまったからである。
だがドイツ・ワンダ-フォ-ゲル運動の終末如何にも拘らずそれが世に残した業績というものは青年独自の価値を明確ならしめた点に於いて決して過小評価することができない。ワンダーフォーゲル運動がその持つ価値として一般に広く承認させ得たものは次に揚げるようなものである。

(1)自己意識の覚醒、青年たるの意義の発見。
(2)自然愛好。これによる純真自由な心情の滋養、さらには全き人格の養成。
(3)健康増進。
(4)剛健なる思想と実践力の獲得。
(5)郷土と隣人に接することによる国民意識及び祖国愛の強化。
(6)土と人に親しむことによる人間性と社会心の培養、さらに国際観念への。
(7)直観教授的効果。
(8)自然生活の簡素化が斎?す生活革新。
(9)男女間交捗の向上。
(10)郷土の民謡や俚謡を唱い楽器の練習などを行って、健全なる民衆娯楽の向上発展に貢献。
大体以上のようなものが、ワンダーフォーゲル運動の価値乃至は意義として明らかにされているものである。

我が国に於けるワンダーフォーゲル運動は、言うまでもなくドイツ・ワンダーフォーゲル運動にその源を発している。しかしながら我が国に於けるワンダーフォーゲル運動はドイツに於けるそれと全く同一の運動であると称することができるであろうか。その答は明らかに否と言わざるを得ないであろう。
確かに我が国に於けるものはドイツのワンダーフォーゲル運動にその範を求めている。だがそれだからと言って、我が国に於けるワンダーフォーゲル運動が、ドイツとは歴史的社会的にも背景を異にし自然的環境に於いても著しい差異を見出す日本という別個の国に於て、ドイツ・ワンダーフォーゲル運動と同一のものへと発展し得られようか。そこには必然的に異なる運動が生じてくるし、また生れて来なければならないと思う。

此のような見地より我が国に於けるワンダーフォーゲル運動を若干考察してみたいと思う。
我が国に於ける学校教育というものは、一般的に可成り形式的観念的なものであったし、また現在でもそうであると言えよう。今まで幾多の学制改革が試みられたにも拘らず、本質的には依然として旧態のままにあるのが我が国学校教育の実情であり、現状ではなかろうか。
斯ような観念的な学校教育を否定して、一面に於いては人間の自然と調和を或いはまた融合を計りつつ他の面に於ては自然を教育の場とせる実践的教育—勿論ここに言うところの教育とは、青年自身の活動を通じての青年自身による教育という意味である---を行うこと、此れが即ち我が国に於けるワンダーフォーゲル運動の進むべき方向ではあるまいか。
さらにまた、ドイツ・ワンダーフォーゲル運動が既成文化の単なる否定のための否定であり、自然への逃避に終ったならば、我が国に於けるそれは自然を通じての既成文化の止揚であり、またあらねばならないと思う。
ワンダーフォーゲル運動の本質は活動それ自体にあり、それはあくまでも自己目的的なものである。だから今述べたワンダーフォーゲル運動の進むべき方向は、確かに一つの指導理念ではあるが、それは活動それ時代の中に含まれる一つの指導理念であって、何も遥か遠くの優れた画期的な目的を指すものではないのである。それはワンダーフォーゲル運動の自己目的的な性格とは何等矛盾対立するものではない。完
 

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3. 若きワンデルンに訴ふ! 里見君のワンダーフォーゲル論に寄せて

 
佐野哲也

若きワンデルンよ、此処に一つのケルンが築かれんとする。なればこそ私も、もう一つの石を手にして、そっとその上に重ねてみたくなった。
此より先、次々と新たなケルンが築かれんことを望みながら。彼(里見)は書く前に大体の意図を話して呉れた。私もそれを良いと思う。然し心配なのは、その理念という奴が棚の上のボタ餅になってしまってはということである。此の憂を無からしめるには、やはり部員総力の「結集」と「協力」と「創意」とが是非必要である。然して君らにこれを期待するのは、私にしてWVを単に「自然を楽しむの会」とすることが出来ぬからである。何故ならばWVは旅行案内所でもなく、娯楽団体でもないからである。若し「娯楽」であれば唯楽しめばよい。然るに尚我が同志に対し、団結と協力と創意を期待するのは少なくとも「WVとは自然愛好という場を通じて、そこに限りなき生命の源泉を見出し、部員相互に陶冶し、その喜びを分ち合う」にあると考え、その依って来たる処のものは「君らの『若さ』と『自由』とを以って尚、現実生活にあっても常に新鮮なる創造者たること」を望むからである。若きワンデルンよ。彼は確かに一つのケルンを築かんとする。勿論、以前より皆、各々考えを持っていたが、そこに統一なく、その明確なる表現と、それに基く具体的実践のなかった事は、WV自体をして、更に部の運営をして曖昧なるものとし、大きな障害となって来た。然して今、此の点に関し、問題に対する充分なる解答を得たとは言えないまでも、少なくとも一つの手掛りを得た、と云うことは、我がWWVにとって一つの進歩なりと思うのである。斯くて、ケルンとは此れを目標にして尚、前進することによって初めてケルンたり得る。ケルンがケルン足り得るか、否かは実に君らの意志の如何である。

若きワンデルンよ。棚の上のボタ餅が棚の上に有る限り有効需要とは成り得ない、と等しく我々のすべての行為も宙に浮いて居るのではあるまいか。顧みれば二年前WWVは発足し、私もそこへ新入部員として飛び込んで行ったのではあるが、—敬文堂書店の裏のキタナイ喫茶店に部室があった頃であったと思う—当時素直な見方をもってしても尚、五里霧中の感があった。然し発展したと云う希望は部員相互に意気に燃えるもの有らしめ、部全体に何か強い迫力感の迫るものを覚えたのである。然るに今、その威力衰え、沈滞へと下向しつつあるの感がある。此れは一体如何した事か?我々はこの沈滞より脱出せんとした。そして大量の新人募集せんことを願うた。然し今にして省みれば事実に於てそれは大きな誤謬を孕みつつあった。それは大きな危険を伴っていた。私は君らに問う。若し我々にして自らの行為に自覚なくして責任ある行動をとり得るや。信念なくして責任ある行動をとり得るや。信念なくしては、すべての行為も無意味ではないか!無意味なる処に幾ら無意味なるものを加えても依然として無意味である。若し人にして0×0=0の認識ある者あらば此の徒爾を踏むこと匆らん。此処にして我々は自らの良心に遡行するとき我々は深き痛手を負うのである。それでは「どうするんだ?」と問う者あらん。しかしその前にいち早く、こちらから「一体君たちはこの沈滞をどうして呉れるんだい」とたたきつけたい思いである。現在確かに連盟組織であるとか、ユースホステルとか、その形式的な面に於ては発展を遂げて来たのであるが、肝腎の本体はどうした?何時も部員会に出て先ず第一に感ずることは「此の部には迫力感がない」と言う事である。然して諸君、此の「迫力」と云う奴はやはり我々のもつ「若さ」と「自由」とを結集した団結と創意の中に初めて生れて来るものだと思う。諸君!棚の上のボタ餅は、いくら下で待っていても、余程のことがない限り、ひとりでに落ちて来ることはないのである。

若きワンデルンよ。我々は自らを知らなければならぬ。吾がWWVとは、学生生活とは、青春とは、一体何を意味するか?我々は図らずも志を同じうして此処に自然愛好という舞台の上でお互いの青春を演ぜんとしている。部は確かにその「場」である。例えば経済学や物理学の研究をはじめ童研や婦研に至るまであるが皆、各々の舞台を通じて自らの青春を一歩一歩築きつつある有能なる学徒の多勢あるを知る。然してそれらとWWVとが舞台を異にしようとも、また等しく学生団体である以上その精神を見失ってはならぬのである。即ち我々が築こうとする世界、それがどんなに小さなものであろうとも、それを創造しつつあると云う事の内に限りなき喜びを見出すのでなければならぬ。そこに於いてこそ各人の奥底に心の泉を見出し、大きくは部員全体が一塊となって、共通の心の源泉を持っていると云う事が大切だと思うのである。そして斯様なWVの舞台とは、安田君や里見君の説明があるので直接触れぬけれども、山に登ると云うこと、大自然に接してゆく、と云うこと、それ自体の中に自己目的的なものを持つことである。その目的の依って来たる意義は我々がその大自然の抱擁の中で此の「自己」をあらゆる障壁から解放し、互いに真の人間の姿に於てぶつけ合い、見出し合うとき、そこに提出された「自己」に何か生命の糧として与えずに置かぬ何物かが有るためではなかろうか。そしてこの現実に於て、この悲劇な二十世紀の運命児に対し、奪い去られようとする人間性を再び取戻し、新たな息吹きをふっ込むことが出来るとしたら、それがどんなに少数の人々であろうと、それは我々の勝利ではないか。故に部則に「自然を愛し楽しむ云々」とあるも、単なる娯楽を意味するものではなく、プレイガイドやハイキング団体や記録作りのスポーツ団体を明らかに意味するものではないのである。然るに現在のWWVは旅行案内所的なものへと堕落してゆく危険性を往々見るのである。若し此の存在を自ら許すとすれば何処に学生団体としての面目ありや?何処に教育的意義ありや?そして内部的な健実さなくして何々協会とか何々連盟に参加し学校の予算を獲得しようとは順序の転倒であり思いの外である。そこに全員の自覚と創意が必要であり、そして我々は我々の学生生活を青春を欺いてはならんのである。

若きワンデルンよ。且つてドイツのみならず欧州全土澎湃として起ったワンダーフォーゲル運動が、何故に第二次世界大戦を契機として減速してしまわねばならなかったか?彼らの漂泊が漂泊の為の漂泊である限り、現実の否定の為の否定である限り、それ自体一歩の前進とも成り得なかったのである。怒濤の如く寄せる時代の波動に、あばれ、何の踏み応えもなく必然的な崩壊を余儀なくされ、ナチドイツの下に、ヒットラー・ユーゲントと化してしまったではないか?新しい日本のWVは斯く有ってはならぬ。我々は我々の道を選ぶ。吾がWVと、現実生活との対決は一体何処にあるか?今WVという一つの列車は寒風吹きすさぶ大平原を驀進せんとする。この列車にして一人の乗客も許されない。すべては運転手と火夫である。そして我々の「若さ」と「自由」とが石炭であり、最大の原動力である。如何に優れた運転手ありとも、火夫が怠りて汽車は動き得るや。今後も現実のファシズムという嵐は益々吹きすさぶに違いない。そうあれば我々の原動力たる「若さ」と「自由」もより一層熱烈でなければならぬ。目下の情勢では現実の悪魔は我々の周囲を何時何処で何様に??しに来るとも限らない。そして我々のWWVと云う列車も何時何処で爆破されるとも計り知れない。そんなとき弱い我々は転覆してしまうかも知れぬ。それでも尚、我々はその寸前までは我々の勉学を通じて、また自然愛好の貴き体験を通じて勝ち得た我々の生命力や理想が原動力となってWWVという一つの列車に我々の「若さ」と「自由」とを満載して最後まで突進せしめると云う事実、此れが大切だと思うのである。且つて安田君と共に山本君をお宅にお伺いした際「千九五三年論」が話題に上ったが、そのとき山本君が割切れない現実の実像がどのようであろうと、僕たちは僕たちでWVと云う道を限りなく力強く進んで行きたいと語った言葉の一節を時々思い出されるのである。山は悠久にして清浄である。我々は浪漫的なものを求める。にも拘らず我々は二十世紀の運命児である。時代の苦悩を両腕に精一杯に握り占め、強烈な意志力を以って突進して行かねばならぬのである。此の矛盾の間を我々は「怒り」と「悲しみ」と「愁い」を以って彷徨するのではあるが、やはり我々は雄々しき青年でなければならぬのである。真摯なる学徒でなければならぬのである。その故にこそ我々は自他共にボンボンであることは許ぬ。と同時に、我々は何処までも青春のこうぜんたる意気を見失ってはならぬ。君にして、吾にして思う存分自然を踏査する如く人生を踏査するのである。そして吾が団結の力は前進するのであろう。

若きワンデルンよ。最後に望む、棚の上のボタ餅は、棚の上にある限り、それはどんなに偉大なボタ餅であっても、それはボタ餅とは成り得ないのである。どんなに小さいボタ餅でも、それを食い、それを噛みしめ、味うときに初めてボタ餅のウマさがわかるのである。どんなに有難い理念を知らされても、それを我々の総力によって具体的に実践してゆかない限り、それは我々にとって一歩の前進とも成り得ないのである。どうか君たちの「若さ」と「自由」とをWWVの中にぶち込んで呉れ。そして君らは素晴しい火夫であって呉れ。自然愛好の同志よ自然愛好とか登山するとかが大切ではなく、自然愛好という場を通じて如何に我々の青春と対決してゆくかが肝要である。故にワンダリングとは山のみを歩く事ではなく、部報を出し、WVに関する種々なる会合を持つことも等しくワンダリングである。そして合宿に参加できなくとも、駅まで見送りに行くことは実に立派なワンダリングしているのである。不明なる理由で部員会を欠席し、平気な顔をしている者は、以後謹むべき事である。若し誰か不幸にして意見を異にしようとも、少くとも此が私のワンダリングである。友よ、僕らは「美しく輝しきロンドを組もう」(ロマン・ロラン)、「平和は、すべて美しきものの母である」(ゲーテ)。完
 

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4. アンケート

 
1.好きな山
2.行きたい山
3.パーティー人数
4.月何回ワンダリング
5.飲みくらべ
6.ガツキ限界効用説
7.辛かったこと
8.シャクにさわったこと
9.嬉しくてワクワクしたこと
10.メツチェンの見方いろいろ
11.十八番、下手な横好
12.部に対する希望
(註)カッコ内は編集者が註訳したものなり。

覚野
1.新緑の山なら何処でもよい。/2.費用安く、アルバイトのない面白い山。/3.四、五人、女の子が入ると尚よろしい。(然り)/ 4.何回でも。しかし先立つものがねえ(困ったら俺の処へ来い、何とかしてやるぞ)/ 5.チョッピリ(洗面器でやっと一杯)/ 6.至って上品、ドンブリ二杯で腹一杯。/ 7.何と云ってもオナカのすいた時さ(だから本当はドンブリ二杯では足りないのです)/ 8.?野へスキーに行った時、夜中に隣に寝ているアベックに起こされた時(早く君もそうなりなさい)/ 9.谷間の小屋が見えた時にはいつも嬉しくて嬉しくて。(オナカがすいたからですか)/ 10.○○ちゃんのような人が好き。/ 11.パチンコしかし今はやめた。(どう致しまして)/ 12.世界各国をワンダリングしたい。

金子
1.岩のごろごろしたものすごく男性的な山。/ 2.エベレスト。/ 3.単独行。/ 4.無数。/ 5.無限。(ワンダフル!)/ 6.一日九食。(ものすごい)/ 7.常念小屋からの下りで、サルマタのヒモが切れた時。/ 8.人格円満にしてシャクにさわる事無し。/ 9.帰りの汽車はいつもうれしい、特に安田さんの「ああ、なみちゃんや」を聞いた時はうれしくなりました。/ 10.選り好みをしません(一人二人は面倒だ、三人四人は多すぎる云々)/ 11.ベートーベン作曲、湯の町エレジー。/ 12.クツロイダ話をする時(イマヌエル・カントの如く)

勝田
1.霧ヶ峰連山を中心とした一帯/ 2.男性的な山、アルプス。/ 3.四、五人、但し二人でも良いとの話。/ 4.少なくとも月1回は行きたいが。/ 5.二合(此う云う人はつき合うにはよろしい、交際費が少なくてすむ、「奥様の経済学」より)/ 6.上品なので少量飯盒二、三杯。/ 7.ナシ。/ 8.交通公社の不備、車中カツギやに騒がれ安眠妨害されたとき。/ 9.常念小屋が見つかった時。/ 10.フェミニスト、山から下りて来た時は誰もがきれいに見える、わい。/ 11.ナシ。/ 12.会員を大量入部させ部費をとること、但し現在の部費の値上げ絶対反対。

吉良
1.景色の良い静かな山。/ 2.日本全国の山。/ 3.ワンダリングに於ては四、五人。/ 4.金さえあれば。今のところは一回位。/ 5.酒は飲まない。(他に飲むものがある)/ 6.一ヶ月一斗五升位。/ 7.ハイキングと思ったに思い荷物背負わされて、、、全く新人辛いね。(新兵さんはまた寝て泣くのかねー)/ 8.合宿に行って自分はそのような事はやらなくても良いと自惚れている奴の顔を見る時。/ 9.友達として良い女、良妻賢母型及びシャンの三つに分ける。此の三つが揃わない女には近づかない事にしている。/ 10.他人の事をも思って行動して呉れる人を見出した時。/ 11.バレーボール。/ 12.派閥的にならず朗らかな明るい部であって欲しい。

里見
1.山と名のつく所、どこでも結構。/ 2.神聖にして犯すべからざる山。/ 3.三人~四人。/ 4.愚問ですな、要するに要するものがないだけの話ですよ。/ 5.付合い程度です。如何なる場合にも対処するだけの心構えはできて居りますから御承知のほどを。/ 6.通常二合。/ 7.空腹をかかえて夜道を歩いたとき。/ 8.スキーを折ったとき。/ 9.解散コンパでアルコールを頂戴するとき。/ 10.すべてほどほどに、過ぎたるは何とかですからな。/ 11.四等寝台で寝ること。/ 12.部員から一文たりともお金を徴集しないようにすること。

斉藤
1.北アルプスの山々。/ 2.谷川岳(特に一ノ倉ですか)。/ 3.三~五人。/ 4.一回。/ 5.おちこ三杯(うそをつけ)。/ 6.どんぶり一杯。/ 7.第一回合宿。/ 8.剣小屋。/ 9.目的地に到着の時、何時でも。/ 10.女は嫌い(アラ本当かしら)。/ 11.猫かぶり。/ 12.合宿制廃止。

佐野
1.のんびり昼寝の出来そうな山。/ 2.更葉の山。何処かにあったら教えて下さい。/ 3.賑やかさを望むときは大勢で、ぶらぶら彷徨するには四、五人で、内緒でこっそり。/ 楽しむには二人でよろしく致しましょう。/ 4.一回。外に欲望のおもむくままに時々。/ 5.底抜け。/ 6.飯盒めしはまずいです。お義理に少々。/ 7.逢引を破約にして部員会に出席しなければならなかった時。/ 8.何事にも無理をしたがる奴の前ではシャクにさわる。すべてレッセ・フェヤーにしようぜ。/ 9.友だち同志我儘を言えるようになった時。/ 10.若きウェルテルの悩み、目下進行中。/ 11.素晴しいコースを見つけ出すこと。/ 12.部員のみんなの顔を一ケ所で、一遍に見たいよ-。(部員会のこと)

田中
1.八ヶ岳。/ 2.欧州アルプス。/ 3.四、五人又は二人。/ 4.二回。/ 5.いくらでも。/ 6.極めて小食。/ 7.常につらい、常に女に口説かれるから。/ 8.不答。/ 9.頂上或は小屋の見えた時。/ 10.不答。/ 11.スキー、スケート、舞踏何でも、然し、、、勉強には及ばない。/ 12.女性を入れること。

手島
1.白馬岳これは好きであると云うより私にとってなつかしい山です。結局好ましいことになる。/ 2.どうしてもという山はありません。私を楽しませてくれる山ならどんな山でも行きたい。/ 3.四、五人でしょうな。二人連れは相手の性別を問わず良くありません。/ 4.金と閑との問題である。/ 5.ボクはオ酒のみません。(大ウソなり)/ 6.長セベさんにはカナイません。/ 7.谷川岳で長セベ御大とカレーライスの食い競争で敗北し、一晩ウナリ通した時。/ 8.同じ寝床でガスを放たれる時。/ 9.汽車賃も無い無一文のルンペン旅行中、大町の駅員にパンを戴いた時、感激しました。/ 11.スキーを折ること、よろず八百長。/ 12.明るいつどい、明るい子。

長谷辺
1.浮気ですから、みんな好きです。/ 2.武尊山。/ 3.三、四人(女性が入れば野郎は僕一人)。/ 4.一、二回/ 5.酒二合。/ 6.米一回三合ですかな。/ 7.昨年の夏、白馬へ行った時。/ 8.不答。/ 9.昨春谷川岳マチガ沢出合のテント場でT君と食い競争をやり、断然ひきはなしその夜T君が一晩中ウナッていた時。/ 10.Love is blind./ 11.下手なウタイ、?/ 12.ナシ。

光来出
1.成田山。/ 2.山賊の出る山。/ 3.一人とはいえないから十人位。/ 4.一回。/ 5.生れがいいせいか焼チウなら五合、酒ならのめぬ。/ 6.米四合。/ 7.山登りが一番つらい。/ 8.山でアベックに会った時。/ 9.パチンコでどんどん玉がふえてる夢を見た時(やがてパチンコ選手権もとれることでしょう)/ 10.あきめくら。/ 11.何も出来ないのが十八番。/ 12.文句なし。

安田
1.白馬岳。夏雪渓多く花畑有り、女性同伴でも楽しく高山的感じがある。/ 2.モンブラン及びマッターホーン。(金がかかりますよ)/ 3.単独又は三、四人。/ 4.出来る事なら何回でも然し、、、/ 5.沢山飲むと二合以上で記憶喪失。/ 6.飯盒一杯がせいぜいでしょう。/ 7.写真代を請求せられた時。/ 8.9.不答。/ 10.女は綺麗な方が良い。(まったくね)/ 11.寝る事。(三十時間以上寝ていた経験あり)/ 12.部員諸兄が分裂症的になる位迄(極端な言い方だが)山が好きになって欲しい。(完)
 

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5. 初冬の富士を憶う

 
柳 和夫

1951.11.20 記
一雨毎に山の紅葉もくれないの色を増して行く頃、晩秋の落葉松林の梢の向うに仰ぎ見る富士の姿程素晴しいものはない。今年も新雪が来た。八合目七合目へと澄み渡る空にくっきりと浮かびあがる冬の姿の富士の魅力に引きつけられてゆく。富士に親んでから三年目今年も氷雪を踏んで頂上を極める事が出来た。
都の秋をはなれて冬を知る。二十米三十米と吹く風を通して進み、巻き上げる雪煙の中に呼吸を殺して踏みたえ、そして生を知る。富士の氷雪は時には素晴しいものと化す事があるが亦気象の関係上粉雪の時もある。数年前の十二月最初に富士へ吉田大沢より登山した時は、六合目より氷雪と化し身を切る様な風が強く雪煙を伴って吹きまくり一歩一歩ステップをしながら登攀するのに非常に困難であった。手も足も出ず八・五合より退却した経験もあった。大沢から仰ぐ富士山頂は圓い。大沢尾根は風が強いが展望は実に素晴しい。富士山頂に立つと云う事は決して小さい事ではない。今冬は大沢尾根より登り風に叩かれたが薄く氷った雪面にアイゼンの爪が良く入り登攀も容易であった。下山の如きも八合目よりアイゼンを取去り足取りも軽く帰路を楽しむ事が出来た。氷雪と化した時などには慎重にアイゼンを一歩一歩きかして足を運ばねばならない。
富士の登山には吉田口が殆ど選ばれている。五合目迄森林地帯を通過するための天候の急変に際して比較的安全であり、理想的であるためである。今夏は戦後最高の人出であったそうである。積雪期も最近盛んになり出して来た。私は今年の最後の山行きとしてまた来るべき冬への親しみをましてそしてさらに氷雪技術の習得のため十八日に富士を訪れて見た。山頂に立って日本アルプスの山々が新雪に負われているのを展望したときの気持ちは言語に絶するものがある。富士は実に雄大である。来年も又新雪に美しく被われた頃出掛けようと思う。
 

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6. 穂高周辺のスキー

 
覚野久雄

穂高周辺のスキーと云ってもゲレンデとしてのスキーは楽しめない。併し朝に夕に雪をかぶった穂高の山々を眺め得るだけで苦心して上高地迄来た甲斐はあると思う。その上比較的容易な西穂高岳・焼岳・長塀山・蝶ヶ岳などに登攀出来得れば尚一層その価値が有ると云えよう。徳沢園より見たる前穂東面及び北尾根は正にヨーロッパアルプスを思わすものがある。而も上高地に入るには困難な所が殆ど無いと云ってもよい程で僅か釜トンネルの出口の所のトラバーズに少しばかりの慎重さを用いれば困難と思われる箇所は少しもない。
先ず上高地に入るまでのバス道路の状態を述べよう。(尚積雪期の徳本峠越えは余程此の道を知らない者でない限り雪崩の心配及び方角を誤る恐れが多分にあるし、又相当のアルバイトでもあるので皆バス道を利用する)沢渡までは唯歩くのみで積雪量多ければスキーを用いるが別に注意する所もない。沢渡より四十分程で山吹トンネルに着く。此の中は恰も鍾乳洞の如くで上から又下から氷の槍が我々を狙っている。
余裕のある人はアイゼンでもはけば又面白いかろう。少しばかりのスリルを味わって山吹トンネルを通過すれば後は梓川沿いに曲りくねる道を頑張って歩けば三時間弱で坂巻温泉に着く。中の湯迄のばすかは、その日のコンディションで決めて良い。ファイトに満ち満ちているなら一気に釜トンネルを越えて大正池まで行ってもよかろう。翌日は上高地迄ならユックリでも良いが徳沢までなら八時頃には出発した方がよい。釜トンは真暗で出口に着く頃は相当バテてしまう。狭い出口をどうにかハイ出ると周囲の状態は今までと俄然一変して、デブリがグッーと下へのびている。五百米ばかりで堤垣に達するが其処から河原を通って行く。大正池の田川の小母さんは感じがいいから寄って行くといい。又ホテルの木村さんも話せる人である。徳沢は河童橋から三時間、白沢の出合辺りから河原を行く。徳沢の出合から夏道に入るのである。上高地をベースとしては西穂、焼岳などへ行って来る。西穂山荘までは難所とも云うべき所はない。(詳細は岳人参照)
徳沢なら奥又日谷に入り松高ルンゼを通って池に来る。A沢を通って前穂の日帰りは相当のアルバイトである。長塀山は徳沢園の裏スグの尾根を行く此れは雪崩の心配もなく前穂東面北尾根の良き観察地である。森林帯なのでワカンを使ってのラッセルである。此の稜線をのばせば蝶ヶ岳へ行ける又槍沢でのスキーは快適と思われる。奥又日谷の押出しはまるっきりの素人でも何とか滑れる様なスロープである。
以上穂高及びその周辺についてのスキーと云っても上高地までについて述べたが、此れは冬及び春の上高地には入りたいが何となく恐ろしいと云う人のためである。(完) 

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7. 一新人のたわごと

 
金子 敬四郎

一集団の一個人としての義務を果すべくここに筆をとります。存分と御嘲笑下さい。

僕はサクのあるスポーツは嫌いです。ピンポンとかテニスとかバレーなど、、、、それ等は今流行のパチンコと相通じる所がありあの様に小さな所に入ったとか入らないとか凡そ浩然の気を養うなどということとは縁の遠いものです。
登山をスポーツの中に入れない人が居ますが、一方団体などでは登山もスポーツの一つであるとしている様です。その是非は別としてもサクのない事に於いては一番ですし、従って僕の山への興味を引く事当然と云はねばなりません。

山に登る人に三種類あると思います。一つはカラスが夕方になると山へ急ぐ如く、下宿の大学生が休みになると母の姿を慕って故郷へ帰る如く、又秋深くなればこの日本に別れを告げてどこかの島へ飛び去る渡り鳥の如くに、所詮人間猿の親分に過ぎなければ本能的に過ぎ来し自分の故郷に郷愁を感じかつての同胞を求めって山に入るという型、そして二番目には山こそ人生の修練場であるとして思い荷に真っ青な顔をしてアゴを出しあげくの果てにブッタオれ、しかも或る種の理屈を常に忘れないという型、その三はあらゆる犠牲をかえり見ず唯ひたすらに人の登らない一米でも高い地球上の地点に登るという型(この場合は新聞等に書き立てられる事を計算にいれている場合が多いのだが)以上三つの型の中で第三のものは『お山の大将我一人』という非常に無邪気な欲望によるものであると思います。一度僕の虚栄心を満足させるためにやって見たいと思いますがそんな事でしにたくはないし又牛馬の如く荷を担ぐのも嫌なので敬遠せざるを得ません。第二の型、僕は山は所詮遊びだと思っています。遊ぶ事によって人格を高めるなんて押の太い事ですし又山の真の魅力を除いてはそれに対する犠牲と努力が大きすぎる様です。
従って僕は第一の型が僕の場合にあてはまるだろうと思って居ます。

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雨は相当激しく降っていた。未だ外は真暗だった。行きたくないこの?いふとんの中に今日の日曜をすごしたいとは思ったが、、、寒々としたうす暗い電燈の下で冷やめしを喰い今日の山行の事で母と昨晩口論した後なので金ももらわず重い足を駅へと進めた。省線で一寸した事から首をドアにはさまれ、Yシャツを破かれますます今日の山行を約束した事がうらめしくなる。SさんKさんと新宿で待合せ秦野に着いた時には雨は小降りになっていたが猛烈な腹痛に悩まされて頗る憂鬱であった。バス故障で蓑(?)毛まで歩いて来るとMさんがメッチェンを連れて休んでいる。雨の為中止して東京に帰り遊ぶとの事うらやましき限り。肉のサンドイッチをもらってたべる僕の手製の干ブドウのサンドイッチとはくらべものにならないくらいうまい。Mさんたちに別れヤビツ峠まで来ると雨は本格的となり風を伴いはじめた。ここで僕はGIが着るだぶだぶの外衣を着て将に敗残兵然としたイデタチとなる。富士見橋までは平坦な道。途中Sさんのコンパスのデカイ事に気がついて試して見る。先ずSさんと僕の歩調を同じにして歩いて見るとどんどん間が離れてしまうので次におくれない様に自己の歩調で歩きくらべて見たらなんとSさんが二歩で歩く所を僕は三歩で歩いている事を発見した。富士見橋よりの鼻の頭をする様な急坂を二歩登っては一歩滑りして悪戦苦闘する間、再び僕の頭に何故こんなことまでして山に登るんだろうという考えが浮かび上がった。この塔で寒さにふるえつつ雨でぬれるめしを喰いながら今頃渋谷食堂の焼そばを喰って映画でも見ていたら面白いだろうなあ、佐々木小次郎完結編が見たかったんだが、Mさんたちは今ごろ愉快だろうなあ等と思っていたらあんまりワビしくなったので喰うのを止め、この塔の小屋までノス事にする。小屋は荒れている云うがかえって水入らずでたき火できる出来る事を唯一の楽しみとしていたが、なんと小屋はすごく立派で中には鼻もちならない登山者がストーブの周りを占領し僕の果かない夢はもろくもついえ去ってしまった。その上お茶代を二十円も取られ遂に帰りはキセルしなければならない羽目になってしまった。小屋からのあの馬鹿屋根を本当に馬鹿みたいな心理状態で真暗な大倉についた時突然正に突然あんなにも公開した今日の山行があの記念すべき燕登山(昭和二十二年夏兄と二人で行った)以上に何かかけがえのない物の様に思われて来た。そのまま後を向いて登って行き度い様な郷愁にとらわれた。曲りくねった夕もやのだらだら坂を降りつつ歌う数々の山の歌に何か目のくもる思いをしつつ渋沢へと急いだ。
 

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8. AMERICAN YOUTH HOSTELS

 
編者註ーアメリカン・ユース・ホステルについては、既に御存知の方も多いと思うが、1947年版の The Encyclopedia Americana にそれの組織及活動等についてやや詳細な文章が紹介されていたので、ここに原文を掲載して諸兄の何等かの御参考に供したいと思う。原文をそのまま掲載したのは訳出する時間が無かったためと、下手な訳文載せるよりも原文で読んで戴いた方が解り易いと考えたからである。

An organized group of simple, inexpensive overnight accommodations for american travelers, especially young people, situated at convenient intervals in various parts of the United States and Canada and sponsored by an organization known as American Youth Hostels, Incorporated. The work of the organization is indentified with recreation and education in a broad sense, the undertaking having been launched by two young teachers. The purpose of American Youth Hostels as stated officially is : ” To help all, especially young people, to a greater knowledge, understanding, and love of the world by providing Youth Hostels for them in this country and by assisting them in their travels both here and abroad over bicycle tralis, footpaths, and by ways. ”

These youth hostels, numbering today several hundred, had their formal origin in the United States in 1934.the first youth hostel here was opened in New England, at Northfield, Mass, 27 Dec. 1934,by Monroe Smith and Isabel Bacheler Smith, his wife, founders of the organization, who while engaged in study in Europe in the summer of 1933, received inspiration for the undertaking through conversations with Richard Shirrman of Westphatia , also a teacher, and observation of his success in a similar effort. The hostels, usually set up in farm buildings, situated on secondary roads as a rule, are located about 15 miles apart and so arranged as to form a sort of chair or network in a given area, enabling one fostel to another.

While hosteling is done chiefly by young people with endurance and enthusiasm for out-of- door adventure, anyone above the age of four is eligible. Each hostelers is required to possess an American Youth hostels pass, a handbook, and sheet sleeping sack, while may be obtained from the organization’s headquarters or from the local hostel. The local hostel; where farm fable act as ” house – parents” to overnight guests, provides simple accommodations, which include bunks, mattresses, blankets, heavy cooking equipment , and seperate washing facilities and sleepig rooms for boys and girls, while a common kitchen and dining room, are used by both. Food for cooking may be had from a grociry store whem one is near; otherwise it is available through the house-parents. All housework involved in hosteling, such as cooking, dishwashing, and bedmaking is performed by the hostelers themselves. The overnight charge for hostel facilities is 25 cents, plus fuel charges of 5 or 10 cents, for each guest. One dollar is usually sufficient to cover the cost of food, lodging, and a few extras for each hosteler per day. Although one night is usual period of stay at a hostel, one may remain for as long as three days in a section of exceptional interest where such a period is required to cover outstanding points of attraction.

The American Youth Hostels pass, admitting one to any hostel in the United States, is issued annually and costs only a small sum. For a nominal additional charge it may be made valid in all foreign countries. Members of American Youth Hostels receive without further charge the quarterly publication of the organization. The knapsack, The American Youth Hostels handbook, issued ammually and containing imformation concerning the location and facilities of the various hostels or the United States, is available at a small cost.

The educationl value of hosteling has been recognized by leading educators and other distinguished persons. A member of schools have tied it in with ? studies, and student groups have been led on extensive hosteling trips by their teachers. Among the sponsors of youth hostels, in addition to American Youth Hostels, Incorporated, are community committees representing local schools, churches, character-building organizations, civic and outdoor clubs. The local committe selects the hostel and house-parents in a given community and assured maintenance of American Youth Hostels standards. In recognition of the value of hosteling, President Franklin D. Roosvelt wrote. ” I was brought up on this sort of thing and realize the need for hosteling. From the time I was nine till I was 17, I spent most of my holidays bicycling on the Continent. This was the best education I ever had — far better than formal schools. The more one travels the better citizen he becoms, not only of his own country but of the world.”

Officials of the American Youth Hostels, Incorporated, consist of a president, national exective committee, board of representative organizations, council, and executive director. Its headquarters is at Northfield Mass.
 

山の歌特集

(省略しました)
 

編集後記

 
◎臨時総会までには是非とも間に合わせたいと思って編集を急いだのですが、思ったよりも原稿の集まりが悪く、その上充分に目を通す時間もなかったので、部員諸兄が期待されているようなシャンな部報はとうとう実現できませんでした。殊に連絡の不備のために事業報告と部員録を掲載し得なかったことは、編者の最大のミスです。その他編集を終って落着いてみると至る所に不備な点があるのに気が付きます。編者の不手際を深くお詫びします。
◎部員各位の御協力により部報第二号も遂に実現されましたが、編集は私一人では到底間に合いそうもないので、今年政経を卒業された佐野氏に援助を乞うことにしました。同氏の絶大なる奮闘がなかったならば、此の部報も朔日にはできなかった所です。同氏の援助に対してここに厚く感謝の意を表したいと思います。(里見)



彷徨第二号
印刷 昭和二十六年十二月二十日
発行者 早稲田大学ワンダーフォーゲル部
印刷者 早大学生協同組合印刷部

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