60代夏 海外遠征 John Muir Trail隊e.p. 地球の渡り鳥

60代夏合宿 海外遠征 John Muir Trail隊(8/7-27)

Yosemite Valley C0 ~ Illilouette River分岐 C1 ~ Sunrise C2 ~ Tuolumne Meadows C3 ~ Donohue Pass C4 ~ Gladys Lake C5 ~ Upper Creek Meadow C6 ~ Fish Creek C7 ~ Quail Meadows C8 ~ Rosemarie Meadows C9 ~ Muir Trail Ranch C10,11 ~ Colby Meadows C12 ~ Helen Lake先10400ft C13 ~ Deer Meadows C14 ~ Bench Lake JCT C15 ~ Dollar Lake C16 ~ Viddete Meadows C17,18 ~ Tyndall Flor Pond C19 ~ Guitar Lake C20 ~ Whitney Portal C21 ~ Lone Pine
 
抜粋エピソード

8月26日 ギターレイク ⇒ホイットニー・ポータル C21

5時起床、長かったJMTも今日で終わり。昨夜は少し興奮してしまったのか、あまり眠ることができなかった。朝食を取り、手早くテントを撤収して6時2分幕場を発つ。

まだ外は薄暗いが、僕たちの出発よりも先に出た人がいるらしく、上方でエレキの光がチラついている。出発視点からホイットニーまで分岐地点まで登っていくわけだが、ギターレイクからそこまで3,000フィート以上の強烈な登り道を、スイッチバックを繰り返して登ることになる。途中、レッズメドウで出会った夫婦に話しかけられる。「Whitney!」とハイテンションでハイタッチを交わし、二人はズンズンと先に行ってしまった。

7時30分、ホイットニー分岐点に到着。狭い分岐点にザックが幾つか放置してあり、既に何人かが先に山頂を目指して出発しているようだ。我々もここにザックを起き、空身でホイットニーを目指す。反対側にあるホイットニー・ポータルから登ってきたのか、数名の軽装のハイカーがいた。マウント・ホイットニーの稜線は、東側から眺めると牙のような山容が垂直の壁になっていて、とても歯が立ちそうには見えない。しかし、稜線の西側には岩石累々とした比較的緩やかな斜面になっていて、下から見上げた時には想像もできないほどよく整備されている。4000メートルのこの高度にさえ適応できれば、容易に登ることができるだろう。

トレイルは山頂の南側に大きく牙のように張り出した岩山の下部を通り、今度は山頂の西側に向けて周回していく。東側には、過去に氷河が磨いた硬い岩が一気に崩れ落ちていて、急峻な谷を形作っているのがよく見える。ほぼ空身に近い荷物量なので、足取りは軽い。逸る気持ちを抑え、一歩一歩丁寧に歩いて行く。
そして、遂にその時がくる。雲ひとつないシエラ晴れの下、「紺碧の空」を歌いながら山頂を目指す。山頂まであと数分だ。

2009年8月26日、8時50分。アメリカ本土最高峰、マウント・ホイットニー到着。標高4418メートル。

先に山頂に到着していたハイカーたちの「WASEDA!」コールに祝福されて、この記念すべき瞬間を迎える。山頂からの風景は360°の大パノラマ。北にはこれまで数十日をかけて歩いてきた山々が。東側には砂漠のような荒野の中にポツリと佇む小さな町と、そこへ続く一本の白い道が。そして南には未だ見ることのない険しい山々が遥か彼方まで力強く脈々と連なっている。

今まで頑張ってきた全ての苦労が報われた気がして、心から嬉しい気持ちが汲み上げてくる感動の瞬間。足元の支えも忘れ、重力も消えてしまったかのような解放感がそこにあった。
(H川記)

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シエラネバダは美しかった。私は幸せである。

私にとって山の魅力とは、自然の美しさ・厳しさを五感で感じること。山々の風景を見て、木々の香りや風を感じ、時に風雨におののきながらそこの自然を全身で満喫する。そうすることで自然と向き合い、自分自身とも向き合える気がする。自然と仲間を尊敬できる登山。ワンゲルの山岳活動でも、そんな楽しみ方を同期や下級生に伝えたい思いで活動してきた。こう思うのも、私が日本の自然を歩いてきた中で、それなりによい山へ行き、美しい自然を見てきたという自負があったからだ。この合宿が始まるまでは、穂高を涸沢から眺めた景色が一番きれいな自然の景色であるというのが、私の20年弱の山経験の結論だった。
・・・なんて井の中の蛙!!

JMTで私を待っていたのは、日本と全く違う自然、景色、空気…。
雲ひとつない青空と澄んだ空気、輝く草原とコバルトブルーの湖。湖と小川と岩山を誰かが上手く配置したのかと思わせるような風景や、荒涼とした大地に連なる岩稜の山々。リスやナキネズミなどの小動物があちこちで駆け回り、マーモットやシカがいきいきと生活する。これ以上ない自然の造形美をそれを惜しげもなく見せてくれるジョン・ミューア・トレイル。

私にとってシエラネバダの自然は、まさに夢の世界であった。頭を上げて景色を見るたびに感動し嬉しくなって、シエラの風を感じながらそれこそ夢見心地でトレイルを歩き続けた。本当に楽しくてしょうがなかった。ただ単に、きれいな色だとかきれいな水だとか、そんなレベルではないのだ。まさに芸術的な美しさ。山に行けばいつも楽しい私であるが、今回は度合が違った。別格だ。JMTにいた3週間あまりは、私にとって信じられないほど幸せな時間であり、自分は幸せな人間だと本気で思った。

Mt.Whitney登頂を明日に控えた、JMT最後のキャンプ地。Guitar Lakeの湖畔に立ち、夕日に照らされた岩壁を眺めていた時、湧いてくるのは帰りたくないという強烈な想いだった。もうどこにも行かなくていい。この場所にいられることで、ものすごく満たされている感覚がした。ずっとこの美しい自然の宝石の中で過ごしていたいと思い、本気でレンジャーが羨ましかった。Mt.Whitneyに登頂することは私にとって目的ではなくなっていた。むしろ、登りたくなかった。登ってしまったら、JMTは終わってしまうからだ。シエラネバダから離れなければならないのだ。だからこそ、Guitar Lakeから見上げたMt.Whitneyは、いつまでも見ていたかった切なさと寂しさ漂う景色だ。

JMTを歩いていると、ピークは自然の風景の飾りの一部でしかない。登山者としては普通ならおかしな発想だが、これがJMTを含めトレッキングを楽しむバックパッカーの気持ちの在り方なのだろう。日本ならば少しでも登れそうなピークがあったら、登山道を作ってしまうだろう。狭い国土に圧縮された山脈と古くからの信仰登山。島国・日本ではあくまで山は登山するものなのだ。

それに比べ広大な大陸で生み出されるのは、スケール違いの自然の造形美。だからこそ、そこを単に歩くことで自然の姿をそのまま楽しみ、何かを感じて考えまた歩き続ける、トレッキングという自然への向き合い方も生まれたのであろう。今の早稲田ワンゲルの山岳活動の方向性はかなり幅広い。しかし少なくとも自然を彷徨するという点では、「ワンダーフォーゲル」とは基本的にトレッキングを意味するのではないだろうかと思う。

また、今回JMTを歩く上で、アメリカの国立公園という精度を知ることができた。日本とは大きさも組織も訪問者の意識も取り組みも異なり、自然景観保護や生物多様性維持に対してまさに充実した制度となっていた。一方、日本の国立公園の不十分さを感じる。それは我々が日本で山に行くときにいちいちそこが何の国立公園かなんて考えもしないという認識度の低さである。日本の国立公園はただの境界線でしかないのだろうか。もっとこの制度を活用してできる取り組みや広められるメッセージがあるのではないだろうか。疑問を感じずにはいられない。

もちろんアメリカと日本とでは国土の事情がまったく異なるし、自然とのかかわりの歴史や生活圏との距離感も違う。同じように接するわけにはいかないのだろう。ただ、自然の景観と生態系を保護したいのなら、道を作らないで人間を入り込ませないことではなく、むしろしっかりとした体制で自然の中に人を入れることで、自然を知ってもらうところから始まるのだとあらためて思った。自然の美しさ・圧倒的なエネルギーを実感したことのない人間が、自然と人の関係や地球環境のことを心から考えようと思えるだろうか。

地球には、私の知らない心打たれる自然がまだまだ詰まっているのだろう。それは、アメリカにもネパールにも、なにより日本にも、である。これからもずっと、もっともっとそんな地球からの贈り物を真摯な気持ちで受け取り、自分らしい山へのスタンスとアプローチで楽しみ、愛しみたいと思う。

――何十年後か、またこのメンバーでJMTに来よう。
誰かがトレイル上でこんなことを呟いた。

――うん、絶対だよ。
JMTが変わらぬ輝きをもって迎えてくれることを信じて。
(三年 N田感想文より)

ジョン・ミューア・トレイル報告書