もう二週間、あるいはまだ二週間前のことですが、9月の連休に佐渡に行ったときのことを報告したいと思います。
私にとって佐渡は二度目で、前回の五月では田植えの緑があざやかでした。今回は、稲刈りの季節に訪れることになりました。
9月14日(金)
仕事を昼で切り上げて、直江津へ高速を走る。そしてカーフェリーで車ごと佐渡へ。
平日から旅するのは、まるで学校をサボっているような背徳的な快感があるが、これはれっきとした夏期休暇である。
上越は夕日が美しいことで有名だ。
すっかり夜の闇に包まれたころ、小木に到着。それから現地の友人の案内で海岸沿いの細い道を走って岩首集落へ。
訳も分からぬまま祭りの練習に連れられ、やはり訳も分からず飲み会でお相伴にあずかる。ノドグロの刺身がおいしかった。
ほろ酔いで天の川を眺めてから今回の宿に帰る。岩首談義所、小学校の廃校跡を利用した施設である。
9月15日(土)
昨夜は友人とおしゃべりしながら眠りについたはずだが、朝になると、隣に寝ていたのは別人であった。
どうやら、祭りのためにここに滞在している、友人の友人らしい(後に友人となる)。
目が覚めると、お互いびっくりしてしまった。
さて、やはり訳も分からず祭りの準備の手伝いをするが、足手まといにしかならないようだ。
岩首集落には、太鼓芸能集団「鼓童」の研修所があり、全国から若者を集めている。
この祭りに研修生も参加するのである。ちなみに、友人や「友人の友人」は鼓童ではないが参加している。
さて、同期の大門と保延が着く時間なので迎えに行く。彼らの乗る船が見えた。
ここから、WWV62期の三人での旅となる。
まず、元主将のふるさとの集落を訪れる。
彼の通った小学校。今は廃校。
それから、佐渡スカイラインへドライブ。
標高900mから、国仲平野がミニチュアのように見渡せる。
露天堀りで割れた金山。
夕方から、彼のお墓参り。
彼の家では、今回もたくさんの御馳走をいただいた。
岩首集落に戻ると、祭りの準備が朝を待っていた。
今夜も天の川が綺麗だ。
9月16日(日)
今日は岩首の熊野神社大祭。朝5時から鬼太鼓が集落を回る。これが深夜12時まで叩き続けるという。
私は朝から夜までお酒と御馳走をいただき、申し訳ないけど太鼓どころではなく苦しかった。
集落の人々は、2週間前から毎晩練習と飲み会をし、当日は本当に丸一日太鼓を叩き飲み続ける、その体力は信じられない。
天の川が雲に隠れるのを見届けて、談義所で寝る……はずが、祭りを終えた友人たちが現れて、飲み続けたのであった。
9月17日(月)
友人は新潟に出張で、談義所には、私と「友人の友人」の二人が残された。
この佐渡における邂逅は不思議なもので、私は私の内面に向き合いながら彼と打ち解けていた。
こうして「友人の友人」も友人となった。
貴重な出会いも一日限りで、佐渡の最後の夜は千の星とともに一人で過ごした。
佐渡に来て毎晩、満天の星空を眺めていたが、潮騒を聴きながら本州を望む海岸で、このうえなく感傷的だった。
9月18日(火)
ワンゲル時間で言うところのC4の行程も、あっという間に過ぎてしまった。
岩首の棚田を散歩した。
佐渡と能登は世界農業遺産に認定されたのだが、佐渡の風を肌で学んだことは、石川県民にとって良い刺激になった。
私も私の生きる土地についてもっと勉強しようと思った。
お世話になった談義所。
最後にもう一度、彼の眠る墓に寄ってから、佐渡を後にした。
by 62期恵一朗