50年来の友

我々の現役のころ(1960年代最後)は、
各大学のワンダーフォーゲル部をつなぐ組織がありました。
関東連盟、東北連盟、東海連盟、関西連盟など、
そしてそれを束ねる学生ワンダーフォーゲル会議があり、
全国組織になっていました。
よくわかりませんが、
早稲田は何故か連盟と距離を置いていたと感じていました。


1968年10月からリーダーに。
そして関東連盟から会合の案内が届き、
1回くらいは出席しようと出向きました。
会議の内容は全く記憶にありませんが、
その後の飲み会は覚えています。
「結構面白い奴がいるな!」、
久しぶりに早稲田が出席したこともあり歓迎されたようです。
深井と同期が2人だけなので仲間が欲しかったのか?
その後も飲み会目当てに会合に参加していました。
連盟は合同ワンダリングなどを行っていましたが、
そこには全く参加せず。
参加する余裕は全くありませんでした。


学生ワンダーフォーゲル会議の議長は明治の木村義雄君、
顧問の福井章吉先生の薫陶を受けた真面目な論客。
木村君を代表委員として支えたのが法政の宗方保君。
今年の5月下旬木村から電話があり、
脊椎管狭窄症が悪化し歩けなくなったので手術をするとの事。
手術は無事成功、その後はリハビリ。
10月に入りその後の様子を聞くと、
「足の運びがスムースに行かず」と珍しく元気がない。
宗方に状況を知らせ、
「どうだ、励ましに行こうか」というと、
「この際だ、合点!」。


木村は卒業後、国民休暇村に勤務。
現場が好きで、休暇村にいろいろな変革をもたらしました。
私は子供が小さいころから彼の赴任地を追いかけて、
家族で大いに楽しませてもらいました。
最後の赴任地、千葉・館山に住居を構えています。
宗方は出身地福島・須賀川に戻り、
先祖からの材木店経営に力を発揮していました。
しかし、暫くして生来の男気が。
青年商工会議所での活躍を経て、政治の世界へ。
現在、福島県議会議員で1年後に引退予定とか。


11月28日に宗方をピックアップし館山へ。
木村の最後の勤務場所「休暇村 館山」で大いに盛り上がりました。
木村の歩き方より宗方の方が?
宗方は終活の一環として、
自らの人生を回顧した本をまとめ、持参しました。
表紙は須賀川高校伝統の「松明あかし」との事です。
第2章ほとばしる青春時代はもちろんワンゲル!

 

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 (2022年11月30日 20代 吉越昌治)